経営者余談

夢も現実も、希望も愚痴も、全てあります。

2019年12月

もういくつか寝ると今年も終わりになります。
残りの予定を確認したら来週の海外出張は取りやめたものの連日毎晩の忘年会です。
嫌いではありませんのでなんら苦ではありませんがあっという間に今年が終わってしまうというのが切ない気がします。
家族とどこかでゆっくりなんて時間もないのでこのまま正月休みに突入しそうです。
この時期になると自由気ままに仕事中心に生活を回していることに特に後ろめたさを覚えます。
私のように家庭にイベントを持ち込まなくなると改めて何かやろうとも思わないし家族も何も無いのが自然体だと思っているので私にとっては楽でも家族や私の一生を見直した時につまらない人生だと思えてくるかもしれません。
子供の運動会や参観日ですらあまり行かず最近は結婚記念日や双方の誕生日を祝うこともやめた私のようなものが言う資格もありませんが季節のイベント等で家族水入らずの時間は大切にしてほしいです。
私の両親はもういませんがいろいろな事情で貧しかったということもあってずっと働きっぱなしだったという印象です。
時々一緒に遊んでくれたことがとても印象に残っています。
それ以上にもっと親といる時間を持っておけば良かったと両親が年を取ってからの親孝行不足を後悔しています。
父の恩は山よりも高く母の恩は海よりも深いことを感じれば感じるほど涙腺が緩みます。
よっし、もっともっとファミリーの想い出を作ろう。
至誠

日本にもアメリカにもイギリスにも右寄りの政党と左寄りの政党があります。
一つの政党の中にも思想の近い人同士や利害関係の近い人同士が派閥を組んでいます。
そういった人同士が議論をぶつけ合い妥協点を見出していくのが民主主義です。
では会社に置き換えてみればどうでしょう。
格好つけた人は民主主義で行こうなんて言いますが実態は全体主義ではないでしょうか。
それについていけないはぐれ者は出てきますがマイノリティでしかありません。
そして当たり障りの激しい者は自然と淘汰されていきます。
どうしてかと言えばヒエラルキーが出来上がっているからです。
社長派や会長派といった滑稽なグループ分けはできても最後は大政翼賛的に物事が決定されていくのです。
織田の家来になるのか今川の家来になるのか京都に暮らすのか長州に暮らすのか時々の運次第と言えなくもありません。
日本のビジネスマンは海外での商談で折角良いところまで到達しても「一旦持ち帰って検討します」と言い残して帰ります。
決定権がないからと言われていますが決定することを恐れているからとも言えます。
いまや日本は企業で成り立っている国ですのでそんな会社群が支える国もまた上意下達を良とする組織なのかもしれません。
律儀で真面目な日本人とか激しい競争を好まない日本人とか一聞すれば美徳を覚えるような表現も実は国境がなくなれば一番初めに侵略されてしまう日本人になるのかもしれません。
それでも平和は大切ですしお互いに信じあって協力し合って生活したいものですが現実と向き合うことも必要です。
至誠

上司は部下を指導し協力し合って共に組織が目指すゴールへ向かって貢献度を高めることが期待されます。
私が社会人生活を始めた頃は社会での経験知や人脈が大いにものをいう時代でしたので上司や先輩は余程レベルの低い人でない限り大袈裟に言えば崇め奉ったものです。
たまにたちの悪い上司に当たった時は次のローテーションまでの辛抱だと割り切ったもんです。
幸いにも私は本当に上司に恵まれましたので今まで殺したろかと本気にむかついた上司は2〜3人しかいません。
なんだ数人おるんかいと言われるかもしれませんがそりゃあいますよ人間ですから。
意地の悪い上司、自分のことしか考えていない上司、どういうわけか自分とはそりが合わない上司皆それぞれ色々あるんじゃないでしょうか。
それでも以前は評価されてもされなくても給与や賞与にあまり差が出ないし一定レベルまでは皆一緒に昇進できたし幹部への登竜門も平等とまではいかなくともそれぞれにそれなりに与えられました。
ところが今は若いうちから差が出るような仕組みになっています。
その差というのはスポーツのように客観的に納得できるような指標で示されれば良いのですが大きいのは上司の主観的評価です。
つまり上司のさじ加減次第で処遇が大きく変わってしまうということです。
このような制度仕組みの中で自分と合わない上司に当たってしまったら大変不幸を見ることになります。
上司が聖人のようなタイプであれば良いのですが出世レースに勝ち抜いて上に上がったというプライドの高い上司はできない部下を想像以上に低く見ます。
これからはマネジメントイコール幹部ではなくひとりひとりや個人の集合体を公平に評価し上手に取りまとめが出来るマネジメント専門職のような人が必要になるのかもしれません。
至誠

会社にとって利益をあげられなくなれば社会への貢献も株主への還元も従業員の昇給も何もできなくなります。
いま我が社内はこれで議論をしています。
私以外の役員は利益最優先で今こそスクラップ&ビルドを推し進めるべきという主張です。
もう既に役割を終えたものや見込みのないものはやめるのは当然で彼らの言い分は間違っていません。
それでも私が売り上げを主張する理由は(会社に関わる詳細な事情は言えませんが)利益は売上によって生み出されるものであって売り上げを伸ばす努力をしなくなったら成長が怪しくなることと利益拡大を強調するとコスト削減ばかりに走って方々に迷惑をかけ最後はブーメランのように自分に跳ね返ってくると考えるからです。
今の事業を拡大したり新しい事業を作ったりするのは本当に大変なことですがコストを切る詰めることはそれほど難しいことではありません。
外部に対して資材や材料の価格協力要請、内部では残業規制やペーパレス等による節約を否定するわけではありませんがやろうと思えばいつだってできることです。
今日や明日潰れてしまうような状況でもないのに内向きな経営をして縮こまってしまってよいのでしょうか。
無駄は排除すべきですが商品やサービスの付加価値を高めてたくさん買ってもらって従業員にできるだけ給料を払って気持ちよく仕事をしてもらってそしてまた良いものを世の中に送り出してそんな繰り返しで会社が大きくなることが理想ではないでしょうか。
確かにもうからない仕事をしても会社にとって良いことはほとんどありませんがその分従業員を雇って給料を払ってあげられます。
会社はボランティアではありませんがそれくらいの余裕があるのであれば役員が高いボーナスをもらったり関係のない美術品を買ったりするよりもよっぽと社会貢献していると思います。
だから私は利益利益と言われるのが昔から好きではないのです。
至誠


昨日も勢いに任せて浴びるほどアルコール飲料を摂取しました。
お客様との接待の後に身内での打ち上げいわゆる二次会に突入しその後に三次会までやってしまったからです。
楽しく馬鹿話をしておりましたが社内風土や人に関する話になってしまいついつい言わなくても良い発言をしてしまったような気がします。
社長がXXXなこと言ってたよなんて広がったらつまらないことでも大きくなってしまいますし、必ずどこかで間違った意訳をしてしまう人が出てきます。
酒は飲むべし飲まるるべからずと分かっていても酒が入ると饒舌になってしまうのは考えてみれば恐ろしいことです。
一杯目は健康のため二杯目は喜びのため三杯目は心地よさ四杯目は愚かさのためという外国の諺がありますがはてさて私は昨日いくつの愚行があったのか反省しきりです。
ビジネスをやっていくうえでお客様と接する際は胆大心小を心がけており接待まではその通り上手くいったつもりですがその後は身の程知らずも程々にでした。
至誠

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