経営者余談

夢も現実も、希望も愚痴も、全てあります。

2019年09月

今朝の幹部ミーティングで「どうしてもっと普及できないんだ」とある商品にケチをつけた重要幹部がおり、それに追随して担当責任者の能力不足を追求する手下幹部がおりました。
流石に看過できず、朝っぱらから個人攻撃するんじゃなくて、どうすれば売れるか生産的なご意見はありませんか?と振ると口ごもってしまいました。
親分は状況を察知して黙りこくってしまいました。
一昔前ならば足の引っ張り合いも緊張感と競争意識を保つのに有効だったかもしれませんが、知と知の融合でイノベーションを起こそうといっている時代に対話や交流を遮断するような闘争をしていてどうするのでしょう。
幹部ども、酒とゴルフと部下に鞭打つだけで仕事している気になるな。
至誠

昨日の熱が冷めないうちの今日はスタジアムで実観戦です。
学生の頃に秩父宮で見た大学ラグビーも面白かったですが、先日見たスーパーラグビーの美しさには以前と全く違う印象を受けました。
とにかくホイッスルが少なくて流れるようなラグビーだったのです。
昨日の試合もそうですが肉弾戦でありながら緻密なスポーツで、しかも年々レベルが上がっている印象を受けます。
野球では投手も野手も、特に打撃の技術は相当上がっているように思いますし、陸上競技も科学的トレーニングによってレベル向上が早くなっています。
ちょっと気になるのがマラソンで、男子は瀬古や宗兄弟や伊藤國光達が2時間10分を切る勝負をしていたのが40年以上前なんだから、誰もが10分を切れるようになったのは進歩ですが、最高タイムはもっと上がっていいはずです。
今から50年以上前に飯島秀雄さんという方が100メートルで10秒1で走っていますし、ホームラン世界一の王選手は毎年40〜50本のホームランを打っていたことを考えると、平均レベルは現在の方が上でも、とんでもないスーパースターが時代時代でいたということも言えます。
国内ラグビーでは松尾や平尾は類い稀なスターでした。
天才ほど隠れて鍛練するものですが、スポーツの世界では根性とか努力といった精神論が謳歌する時代の方が科学が先行する時代よりも天才が多かったのかなとちょっとした疑問を覚えます。
至誠

今日は日本がアイルランドに勝った奇跡の日です。
前回の南アフリカ戦が奇跡と言われたので今回も奇跡というのは失礼かもしれませんが。
誰も日本が勝つと思っていない、誰も日本が善戦するとも思っていない、誰もがアイルランドの楽勝を想像している、自分達だけは勝つと信じよう、こんなやりとりが事前にあったようですが、実力の差を気力だけで逆転できるのでしょうか。
私がよく知る陸上競技の世界ではあまりありません。
ラグビーとて同じだと思います。
ということは、日本にはアイルランドに勝つ実力は備わっていたはずです。
ここまで鍛え上げた選手、関係者は血を吐く努力をしただろうし、それを出し切るマインドセットを完璧にやってのけたことも併せて凄いと思います。
最近はスポーツで勇気を与えるとか力をもらうといった表現をよく聞きますが、今日は本当に手に汗握って、大声を出して、泣いて、笑って、選手と一体になった時間を過ごしたのではないでしょうか。
紳士が紳士らしく一生懸命にやることは人々の心を打つということがよくわかりました。
至誠

私の会社では目標管理制度を導入して人事評価を行なっていることになっています。
関係者の一部はMBOと呼んでいます。
Management By Objectives 、そう、あのドラッカー氏が提唱したという制度です。
組織目標があって、それを個人目標に落とし込み、経過を観察しながら、行動評価を行い、達成評価を行うというものです。
だけれども、私は決してMBOとは呼びませし、目標管理制度とも呼びません。
普通に人事評価制度と呼んでいます。
MBOは理想どうり運用がなされれば、一人一人のモチベーションは高位で保たれ、組織としても素晴らしいアウトプットが期待できるでしょう。
けれども現実は違い、我が社の場合はあまりに不公平感ややらされ感が強く不評を買っています。
それはそうでしょう、MBOでもないのにMBOと疑いもなく呼称するようなラインの長たちが部下の評価者になっているのですから。
短期の成長を期待したり評価するにはMBOのような成果評価は功を奏します。
一人一人のキャリアを考えて重要な人材として中期的な成長を期待し評価するには行動評価や能力評価が有効です。
実は我が社の人事評価制度は目標管理と能力評価をごっちゃにして目標管理制度としているのです。
これでは会社が一人一人に対してどのような貢献や成長を期待しているのかがわかりませんし、一人一人も自分の成長は会社から降ってくるものなのか自分で描くものなのかわからなくなります。
これに疑問を覚えて昨年は制度改革を試みたのですが、HRMのことを知らない連中との論争のもとでポシャってしまいました。
私もHRMは一切経験したことはありませんが、その分相当勉強しました。
私に反対した連中は何をやりたかったのか、答えは二つです。
親分子分の関係で成り立っている連中なので上が下を管理する構造が好きというだけ、もう一つは私の的を得た提案がただ面白くないということ。
そもそも、どうして評価が必要なんでしょうか。
みんなが最大限のパフォーマンスを発揮して、組織としても絶好調の業績を上げれば必要ないのに。
個人の価値観は多様なのでみんな平等にはいかないのは承知で問題提起してみました。
至誠

嫌なことが続くとき、これから嫌なことをしなければならないとき、私は無我になろうと意識します。
無我と聞くと無我夢中や無我の境地といった意味で捉えてしまいますがちょっと違うんです。
我を忘れて入り込むといった状態を作り出すのではなく、諸行無常の中にあって自分も含めてこの世に永遠不滅などないという感覚になり、思い詰めることなく心を解放するのです。
具体的には、今までや今現在嫌な奴や嫌なことでも、この先もずっと私を苦しめ続けるものではないし、嫌なことにずっと苦しめられ続ける私という実体など無いと思い込むのです。
そういえばデカルトは、我思うゆえに我ありといって自分が存在していることを証明したんですがね。
至誠

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