経営者余談

夢も現実も、希望も愚痴も、全てあります。

2019年04月

外は雨が断続的に降っています。
天気予報によれば間も無く止むようですが、今日の予定は空任せ、まさに晴耕雨読なので特に焦ることもありません。
それよりもこんなに落ち着いて雨を眺めるのもいつ以来でしょうか。
そういえば昔は親から、ツバメが低く飛んだら雨とか、近くにそびえる霊峰が笠雲をかぶっていたら雨と教えられ、よく外れていた天気予報よりもずっと当てにしていたことを思い出しました。
そうだ、せっかくだから両親の墓を参ろう。
昭和時代は一生懸命に働き、我々子供達を貧しい中でもちゃんと学校に通わせ、平成時代は体の調子を崩して病院やリハビリセンターや自宅での療養ばかりで過ごした両親でした。
今更後悔もできませんが、どうしてもっと親孝行しなかったのか、静かに雨を見つめなながらそう思います。
至誠

今、人里離れた田舎にいます。
昨晩は音がない世界で熟睡しました。
今朝は掛け時計の秒針の音で目覚めました。
何と素敵な環境でしょう。
私はこの様な場所で生まれ育ったのです。
ずっとこんな所に居たくないと思っていました。
中学や高校でも住んでいる所に変な劣等感を感じてました。
当時は子供だったんですね。
今はこんな素敵な場所が田舎で誇れるのに。
東京の大学に行ってたまに帰郷した時は高校のあった街ですら何もない田舎に見えました。
方言もちょっと恥ずかしく思いました。
一体何を比較してそう思ったのかな。
などと昔を回想しつつ、この静けさに心洗われています。
深い川は静かに流れると言うようにちょっと時間を気にしすぎて焦っていた自分を見直そうと思います。
言わぬは言うにまさるとでも言えば良いのか、なんでもかんでもあれこれ指示するのも良くないのかもしれません。
VUCAな時代だからこそ自分ではなく皆で知恵と工夫を発揮できる環境が必要です。
気付いているようで分かっていなかったのかな。
至誠

寝るって幸せですよね。
でも本当に寝ること自体が幸せなんでしょうか。
寝ることを持続することは死ぬことです。
誰だって死ぬことは嫌です。
ということは寝ることを持続することは幸せを持続することではないということです。
ではなぜ寝ることを幸せに感じるのでしょうか。
一つは、寝ることではなく少し休むことに幸せを感じる。
二つ目は、寝て再び起きることができることに幸せを感じる。
後者については、もう少し寝たいとか今日は行きたくないと思うときもあるので、必ずしも皆もしくはいつもそうとは限りません。
果報は寝て待てと言うくらいですから寝ても起きないことには。
まくらを高くして寝るって聞いたことがあると思いますがどうして枕を高くするのかご存知ですか。
むしろ寝相が悪い人は枕なんて関係ないくらいかもしれませんが、昔は敵がいつ攻めてくるかわからなかったので常在戦場で常時音が察知できる様耳を地面に近づけていた様です。
これを聞けば少し休むことの意味の寝ることって幸せの至りですね。
至誠

少し肌寒いですが穏やかな朝を迎えました。
昨日の接待疲れもあって今朝は遅くまで寝てようと思っていましたが、まずは息子の目覚まし時計に起こされ、二度寝していたら飼い猫がやって来てニャーニャーと甘えるので遂に起きてしまいました。
世の中は「猫の手も借りたい」くらいの人手不足を言われていますが、このGWはどのような結果になるのか、為替や株価はどう動くのか気になりますね。
さて私はというと、例年は海外出張していましたが今年は思い切って休むことにしました。
「猫の額」ほどの都会のマンションを離れ、両親はもうおりませんが暫く帰っていなかった田舎へ息子と数日間帰郷することにしました。
「猫は三年の恩を3日で忘れる」の様なちょっと嫌な人間関係もあった最近の会社生活からちょっとだけ距離感を感じることができます。
「犬は人につき猫は家につく」と言いますが会社には猫族と犬族がいるのかなと思います。
英語で「Cat and dog」と言えば犬猿の仲の意味です。
十二支を選ぶ新年の神様への挨拶競争で、仲良く一緒に出発した猿と犬が途中で喧嘩ばかりして仲が悪くなった話は有名ですねが、同じくこの話の中で、猫がネズミにスタート日を1日遅く教わったことで競争に敗れ、以来猫はネズミを追いかけている話も有名です。
「猫糞(ネコババ)」とか「猫に小判」と何かと良くない例えに使われがちな猫、「窮鼠猫を噛む」なんて最後はネズミの逆襲にあう間抜けなことまで言われています。
でも何でか猫といるとほんわかします。
猫族はもうご勘弁ですが、本物の猫は大好きです。
至誠

皆さん、コミュニティと聞いて何を思い浮かべますか。
地域社会的な集まりでしょうか、コミュニティセンターのような空間でしょうか。
なんとなくカタカナで上手に言いくるめられた感があります。
でも、上手く使えば便利でいい言葉かなと思います。
私は人が集いワイワイガヤガヤやることかなと考えます。
昔は当然リアルな空間でしたが、今はバーチャルな空間でも成立します。
コミュニティが(闇を除いて)社会にとって良い存在でありそうなのは同感いただけるかと思います。
考えてみれば、会社もコミュニティです。
家族もコミュニティです。
学校の部活も大学のサークルもコミュニティです。
個ではなく数人や大勢で思考したり活動したりするから楽しいんだと思います。
人との関わりですから、時には自分をコントロールしなければならないときもありますが、そのようなことも後になってみれば成長の一歩だと自覚しますし、自分以外の誰かとコミュニケーションすることによって多くの気づきを得ることができます。
人はおもての風に吹かれることが大切なのです。
井の中の蛙大海を知らずで果ては茹でガエルになってしまっては人生もったいない。
面倒くさがりやの皆さんも、人見知りなみなさんも、人と交わることをもっと欲してるみなさんも、さあコミュニティに加わりましょう。
出来る人は新たなコミュニティを形成してはいかがでしょうか。
至誠

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